1978年頃 皮ジャン リーゼント 豹柄 髑髏 アメリカビンテージ古着店 通販専門店 FUJIYAM
1978年頃 皮ジャン リーゼント 豹柄 髑髏
アメリカビンテージ古着店 通販専門店 FUJIYAMA
金筋の不良で、昭和34年生まれの人で
この頃の不良の先輩は、とくに凄い不良が多かった!!
とにかく お洒落と喧嘩と女には
おじさんにしか見えないはずです。
当時 ロックンロールで50sとか 暴走族とかで
おにいさんも おねえさんも みんなみんな
今は真面目な真面な人になっています。
吾輩も外に飲み歩きとか ここ10年位してません。
煙草も5年前に やめました。
同級生とかに たまにどこかで会う機会がありますが
ここまで みなさんがたが
更生して普通のおじさんになったなと思います。
フォークからロックへ移行する変換時期だった。
歌の歌詞は 愛がどうの こうの から ヘイ カモン ベイビー
とか言う あまり意味などない歌詞へ!
この同級生の兄貴のご愛用のポマードが これでした
もちろん現在は、どこでも売ってませんし
当時の先輩たちもどこから、購入してたのか謎でした。
なんせ普通の化粧品店とかジャスコとか ありませんでした。
この兄貴も吾輩たちの別の私立の有名
当時の2大勢力学園でした。
吾輩達が、入学した時は、すでに卒業して おりました。
武勇伝は 数知れず!
その同級生の兄貴が、クリームソーダ本店に当時
一番のりで、行ってきたことを同級生を通して聞いた。
やはりあの当時 メンクラ見て 行った人多かったと思います!
テレビでコマーシャルやってるわけもないし
時代ではありませんでした。
煙草は、ダンヒルに薄い口髭を生やし
鋭い眼孔に 睨まれると みんな オトナシクなる
どの辺が凄いかと言うと一例ですが
ドドドド ドドドド ドドドド と来るとその先輩は
その族へ ママチャリで 突っ込んでいきまして
約30台~40台位の族でしたら2人位で 簡単にシメテました。
と言うか その先輩をみて 後半は族も 逃げてました。
その迫力とか 無言の恐怖に 恐れおののく族のみなさんたち。
身長170センチ程度のごく普通のヤセ型の人なんですが。
その人が、原宿でクリームソーダやシンガポールナイトに
何度か出入りしているのをうわさで聞いたので、
当時はクリームソーダってどんな
程度でした。
だが、クリームソーダと言うネーミングと
当時は みんな不思議でした。クリームソーダなんて
ファッションとかのネーミングには、
つけた 年でもある!
矢沢が テレビで 若い広場という討論番組に
誰もが 矢沢と言う男は カッコイイのだろうかと
新宿歌舞伎町でも 相当 いわして来たらしいです!
削除した ブログの修復でした。記入時期は わすれましたが
2011年頃だった.
ニューヨーク.ニューヨークという新宿のディスコで大暴れして
機動隊が来たが うまく逃げてきたとか そんな話だが・・・・・・
まあ よく みなさんあの当時の新宿歌舞伎町で
今の時代で考えると殺人事件とかよくニュースででてますが
不思議とこの時代は、今ほど凶悪な事件は
少ない気が 致しました。
今日はこの辺にします。
by fujiyama50s | 2018-01-03 19:05 | 50s店長日記 (43) | Trackback