メルトン・キャップで ロックンロール アメリカ ビンテージ古着店 FUJIYAMA

メルトン・キャップで ロックンロール 

アメリカ ビンテージ古着店 FUJIYAMA





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オールメルトンキャップ !!


しかも・・・・・日の丸レッドだぜ!?


昔は リーバイスの到来が 遅かった。






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そうそう  こういう感じで・・・・・しかも・・・




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「 T 」って 文字 手作り感 ありあり でしょ!?



昔は 買うと 高いから・・・フェルト買ってきて 自分で 切って


張るんです。 ベースボールキャップ かぶったら リーゼントつぶれる!?




だから・・・・カッコイイんだ!


「暴力教室」の真似だった。



前髪だけ出して ちょこっと 頭に 乗っけるだけ。




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マクレガーのナイロンのドリズラーなんて 当時ないから


アメリカ古着のオールメルトンの安いスタジャンを 買ってきて


{たしか 黄緑色だったか!?}


フェルト文字を作り 背中に 張る。




「サンセット77」みたいに バックストラップのオフホワイトの



コッパンを探して ジャックパーセル履いて・・・・


アーガイルのソックスに 履いて 徹底的に サンセット77に 


近い状況に する。

でも サンセット77って 見たこと・・ない。


なんだか よく わかんね~けど アメリカって どんなとこ なんだべか??


「ハリウッドのサインボード辺りとか 行ってみたいね・・・」





仙台ですと 五橋に 5Bショップが 初期の古着屋で 

ミリタリーが 強く 我々が 探す アメリカンハイスクール系の

古着は あまり なかった。





仙台赤富士は ウール系 特に ネップJK カスリJKが


強く 40s~50sのトラディッショナルなものが 多く


アダルトな衣装が 多いのが 特徴で・・



我々が 探す アメリカンハイスクール系は 


当時は 仙台には まだなかった。




五橋という場所に ボロボロのつぶれかかった 古民家に

シェビーという名前の お店が 出来た。


「よ~~売れてるかい? カメラマンやめたの?」

「あ~親には まだ言ってない。バレたら ヤベーからな!」


「リーゼントハウスって まだヒナちゃんって いるのかい?」


「もう辞めたんじゃないか!大河原から 遠いし。」






「 そういえば 最近 仙台の国分町に カフェバーっていう飲み屋が

出来たみたいだ。イスが やけに 高いらしい。」





「あの カクテルバーって やつか? ananとで 特集やってる飲み屋か?」

「飲み屋って 言い方は しないらしい・・・・・」





「それより なんか 買ってやるから・・・なんか いいのね~か?」




「これ 結構珍しいだけど!?提灯柄のアロハ?」

「提灯柄? これ 面白いね。クリソに  着ていけば?」


「う~NN いいね~~!」 



「クリソで 着ろ!」




「そういえば このあいだ クリソに 今度矢沢が仙台で 


コンサートやるから その時使うクシあるか?って

バカが 来た。 ただに なると 思ったんだうな~矢沢のジャーマネもどきだね。」





「・・・・・・・今 関係ね^~だろうが・・」


「 買えば? 俺は こっち 買う。」



「今度 北目町に 移転するから また来てね。」




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仙台の北目町という場所は 仙台駅から 徒歩20分以上は かかる場所で

決して 良い立地とは いえない。

だが 20歳そこそこの 若者が アメリカ古着店を 経営する場所としては

そこいら あたりが 限界で あるが ゆえ クリソ連中や 自分も

チョコチョコと 立ち寄り こまめに 買った。


結果的に また 古着を着る 機会が おおくなった。



「アメリカを放浪してみたい。」

「原宿あたりじゃ インディアンに なって インディアングッツ 売ってる

お店も あるみたいだ。」



「なんか スゲー ハーレー乗ってるみたいだ。」



「でも 今のこういうの アメカジって・・ いうらしいね。」



「アメリカ古着のカレッジもの みたいなものは 扱わないのか?」

「どんなのほしい?」



「そうね~今だと トップサイダーに合う グレイの霜降りのトレイナー

それも セットインのやつね。」



それから 数か月の 月日が 流れ・・・・・


一番町の藤崎デパートから 徒歩5分程度の場所に

「 GOOD 」という シンプルな 名前の アメリカ古着店が 出来ていた。





店内には ズラ~~~と アメリカ古着が 並び そこには 今までに 仙台に

ないタイプの古着が 沢山ありました。



今 古着というと BOOK OFF センカドストリートなんかでも

購入できるが 元々 そこの店長クラスでも バイヤーでも

その価値が なんたるかは よく 分かっていない様だ。


自分たちの時代では ナイキ アディダス ・・・いわゆる スニーの

ヴィンテージを 扱う お店など まだ 存在していない。


自分も スニーカーなど 中古で 履くことはできない。



時代は 急加速的に 変貌しつつあり・・



高級志向へと 流れが 代わってきました。


ハウスマヌカンという いきなり英語とフランス語の 合わせ技的

ブティック専属のモデルを意味する販売員が 登場するように なりました。


また 一方では ハマトラ フクゾーのトレイナーや キタムラのバック


チャーリーの靴など 着用する クリスタル系も 出てきた。


また 大学生の間では プレッピー と言う 名前だけが ポパイで


先行し アメリカの高校生の服装なのに 日本では なぜか?

OLも 着ていた。 形自体には そんなに特徴は なく

アイビーを着崩した お坊ちゃんスタイルで あります。


仙台ですと 今でいう スピードウエイの隣の 細いビルに その場所が あった


ギャップ&ブロックが いち早く 🅟コートを 売り出し ショーちゃん帽を

かぶった 大学生が よく出入りしていました。



この時期 なんだかんだ 言って 色々なスタイルが 流行しました。

ボロ・ルック・・・??


80年代前半 正式には 82年辺りから・・・・・


だらしないファッション・・きなりの布のようなものを 破って 羽織ったり

アミ状のカーディガンを着たりして ボロくてアーシーな感じを演出していた。


一見すると ホームレスのような 感じにも 見えなくもない。

戦争中の物資不足の体験をしている お年寄りには 到底理解できないだろう。


70年代に デザイナーたちが 立ち上げた ファッションは 80年代に

開花しはじめた。


パリコレ初進出・・・・・森英恵  高田賢三(KENZO)三宅一生  山本寛斎

ジャポネファッション確立 川久保玲 (コムデ・ギャルソン)

山本耀司 (YOHJI YAMAMOTO)

松田光弘 (NICOLE) 金子功 (PINK HOUSE)




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70年代に 原宿を異文化風俗にしたのは


「グラス」 斎藤純が デザイナーで グラスメンズの 前身が (グラス)


オ-ナーが 赤坂で 小さいお店を 始めて ジーンズをつぎはぎにして



ハト目を 打って 売ったのが・・ 始まり。






当時 超売れっ子モデルだった 桜木純も 加えて・・

そして クールスメンバーになる 村山氏も 当時グラスの入り口ドアを

蹴っぱぐり入店し その店で 働きたいと 申し出たという。

有名な話である。




「ゴローズ」 3階は「グラス」・・洋服を売るというよりは 仲間が 集まると

雰囲気は 原宿に 移るとますます 強くなっていったと 当時を知る人は 

言っていた。 それが セイブオンの店長の話だった。


そのころは 1971年ころだったので 我々も 子供ですので

よく わからないですが 当時のことは 今から30年前に 聞いた 話です。




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いくつもの風俗が 混沌としていた街 新宿


当時の新宿 三越の裏側に 風月堂という 喫茶店(コーヒーショップ)が

あり フーテン族や 家出少年が 多く集まり 「ダダ」 ディグ」

うす暗い ジャズ喫茶で たむろしたいたらしい。

サープラス本店の店長も 当時は 新宿へ 通い 「サンダーバード」や

「ナップ・ザ・ボーイ」などの 地下のディスコへ 足げに 通っていたようです。



我々の時代は ディスコから ヒッピーは 消えて ほぼ 暴走族だらけでした。

1970年初期の新宿ですと 紀伊国屋書店前に アイビー族やら 髪を伸ばし

脱色し 金髪にして 裾幅の広いジーンズに 絞り染のTシャツを着た ヒッピー

そして・・福生基地ちかくの米兵向けテーラーで 仕立てたコンポラスーツに

細いネクタイとリーゼントで ディスコへ向かう 高校生が いたそうです。

我々の時代も 不良は オキシドールで 髪を金髪に していました。

それも 理科室なんかに あるオキシドールを 髪に ぶっかけ

ドライヤーで 熱噴射で 真キンキンでした。 


我々の時代は この1970年代に 出来てきた アンダーグランドの

新宿ディスコから きています。



昔の原宿は パリ風の 異文化な街として 表参道には 「ミルク」

「マドモアゼル・ノンノン」 菊池武夫の 「ビギ」 「ニコル」

青山に コシノ・ジュンコなどが ブティックを オープンさせて いたそうです。

我々も この頃の 原宿なんて わかりませんし さほどメージャーな街としての

フィールドでも なかった。

我々の1977年ころ 中学3年の時は 西海岸の匂いのする

スポーツウエアや パーカー ジョギングウェア コーデュロイ

パンクファッションなどが 出てきました。


1973年 渋谷に パルコパートー1 完成


代々木公園に続く パルコの通りを 公園通りと 名ずけられる。



TD6設立から 42年の歳月が 過ぎた現在 その影を みることは ない。

現在の 原宿は その店内が インテリア エクステリも 最新のアート感覚で

表現されいる お店が 沢山混在している 街に 変貌した。
















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by fujiyama50s | 2017-10-08 18:14 | 50s店長日記 (43) | Trackback

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