オールドロックンロールの登場 アメリカ ビンテージ古着店 FUJIYAMA ブログ
オールドロックンロールの登場
アメリカ ビンテージ古着店 FUJIYAMA ブログ
さて 以前に 日本のロックについて 1975年以降のことは 書きましたが
中学の時に かなり服装や音楽に
マセていた同級生が たぶん1976年の
中学2年頃 キャロルをよく聞き始めて程なく
バルカンのオーデコロンを
学生服に 振りまいて 香水の 香りを
プンプンさせて 学校へ 登校して
おりました。 この1976年頃とうい時期は
同級生たちは まだグレる前でした
ので かなり服装に 変化が出て来た時期です。
それまでは バスケ部だった
同級生メンバーたちも アディダスのハイソックスや
アディダスの上下ジャージスタイルでしたが
どうもこの1976年という年は
たぶんですが 原宿文化と呼ばれる
新しい若者の風俗が 出て来た時期でもある為
アンアン・メンズクラブ・アサヒクラブ・週刊プレイボーイなどの
雑誌には 若者の一番ナウな当時のスタイルが 登場して
特に男子には プレイボーイのマークが
入ってるトレイナーが 流行してまして
今では アディダスばかりに
お金を使っていた同級生たちも 徐々に
高校生たちの好むブランド JUN/VAN
などに 憧れる者が 出てきました。
同学年の女子も この時期ころから
セブンティーンやM℃シスターなど
雑誌の影響で サドルシューズ屋ボーリングシャツなど
プチロックンロールスタイルでした。
吾輩は 当時まだ進学高を目指すべく
勉強を真面目にしておりました。
ですが 正直 少しは カッコつけたい願望は 有りました。
その頃に 出て来たレコードが 上記のレコードでした。
現在のロカビリーファッションとは まったくちがう
オールドアメリカンスタイルで どちらかと言うと
60s初期のスタイルでした。
でも 中学時の同級生の兄貴たち(当時1976年で 高校2年)の
ファッションテイストは 黒のイメージで キャロルやクールスを
かなり意識したスタイルでしたので 中学あたりでも ボチボチ
各中学2年あたりから
アイパーかけたりする同級生が 出てきました。
のちに 仙台のクリソで アルバイトするM君とも
同級生たちと いっしょに真面目に 勉強してた仲間で お互いのちに
あんな ロックンロールをやるなんて この当時は
思ってもいませんでした。
クールスを聞く きっかけは依然のブログでも
書きましたが 当時は 正直 レコードの音源に 口笛吹いてる
ロックンロールは チンピラ音楽というイメージが 強く
女の子(同学年)は やはり 不良の先輩に 憧れてるような
マセガキ女だった。 吾輩は まだ不良なんて 人生の落後者に
なる予備軍だと 当時(1976年頃)は 思ってましたので
あまり 不良の好む洋服や音楽などは 聞いてませんでした。
むしろ オリビヤニュートンジョンや ローリングストーンズなどの
洋楽を聞いてました。 ですが・・・・・・・・・・・・・
1977年頃 あたりから 世の中全体的に アメリカンな雰囲気な
時代に なぜか?なってきまして・・・・・・・
これまでは 着たことが無い
ような 洋服や音楽 そしてバイクに 関心が いくように
なって行きました。 吾輩は やがて 親の目を盗み
紺色ボーリングシャツを
購入した時期でしたが 外に出てから 着用したりするように
なりました。 1977年春 同級生たちは
バスケ部の部室や 校外で
喫煙すようになっていきました。
タバコを口に 咥えて イキガリ出した。
吾輩も イキがり ポケットに 手を突っ込み タバコをふかし
ペッタンコの皮のカバンを持ち やがて勉強も しなくなった。
by fujiyama50s | 2014-12-06 10:02 | 50s店長日記 (43) | Trackback