1977年に 買い集めてたロックンロールレコードたち!!アメリカ ビンテージ古着店 FUJIYAMA
1977年に 買い集めてた ロックンロールレコードたち!!
アメリカ ビンテージ古着店 FUJIYAMA ブログ
最近 質問が ありまして その質問というのは
「1977年 という年代が やたら 出てくるのは どうしてですか?」
と言う ことでしたので 1977年に こだわりの理由なんですが
1973年位から 日本では キャロルが 活躍し
アメリカングラフィティーと言う アメリカのカリフォルニアの田舎町の
1962年の高校卒業記念パーティーの一夜の馬鹿騒ぎ青春映画の
上映が 日本でもされてたようなのですが 当時は 見る年代では
有りませんでした。1973年は 小4ですから。
その頃は 単なる アメリカの若者の青春映画程度で
そんなに 日本では 話題には なっていませんでした。
キャロルを知ったのが
そもそも 中1の4月のキャロル解散ライブが
テレビ中継されていました。
それが 1975年当時です。 初めてテレビ見た時は
皮ジャンに サングラス 黒の巨大なバイクに リーゼントで
もう これだけで 当時は みんな ビックリするほどの
衝撃が 有りました。
アメグラは 1973年の上映時は 小4でまだ
お子様の頃ですので 興味も ないし
当時話題には なっていなかったが 1977年頃から
話題に なるんです!!
ファッションに 興味を持つ年代は 中2の14歳くらいです。
ですから キャロルも アメグラも まだ無縁な年齢だったし
あの当時 ビデオ(VHS・ベータ)DVDなども
まだ ありませんので
映画鑑賞は 映画館で 見るしかない時代です。
見逃したら テレビの日曜洋画劇場や 金曜ロードショーなどの
テレビ番組で ひたすら出てくるのを待つしかない時代でした。
1975年の中学の時は 毎日 部活と塾で 小学校から
ガラリと変わった中学の縦社会に とまどう毎日で
先輩にも ローカや郊外で すれ違う時も 挨拶を
しなければならない時代ですので キャロルとか
そういう感じの一部の不良のような人たちが 聞くバンドの
ことなど まったく当時は 関心もってる同級生なんか
いませんでした。
中1の時は スポーツ店に 行き ジェレンクや
プーマのスポーツ用品を買うことが 一番の楽しみです。
ですが 中2の夏頃から 思春期 に なるので
多少なりとも 異性を意識するようになる時期には
同級生たちは ボチボチ私服に 興味を持つ頃になり
当時は 先輩たちの ちょっと不良っぽい感じの洋服が
欲しくなってく時期に なったのが 1976年頃です。
その頃 第1期クールスの解散コンサートが 全国で
始りました。 高校生の先輩たちは クールスに 夢中です。
その頃 あたりに ペラペラ皮の皮ジャンが 全国のちょい悪
先輩たちの 間で流行って おりました。
でも 中2で 皮ジャンは
購入できないので 当時 ハマカラ という 生成生地の
プリントシャツが 流行して 背中に バックスバニーや
ポパイなどのキャラクターが 大きくプリントされたシャツが
流行しまして 靴は ブラバスという金のチェーンのついた
上靴のようなスニーカーみたいなものとセットで 合わせて
カッコつける時代です。
以前のブログでも 紹介した 不良の同級生が 転校して
きてから 競馬ポマードやら ボンタンやらサドルやら
出てきて ボチボチと言う感じに なってきました。
これは 全国的なものだと 思います。
「8だよ全員集合~~~!!」 と言う 番組で
あいざき 信也が 歌の衣装で髑髏の皮ジャン着て
歌っているのを見て 「あのドクロのジャンパーってなんだ?」
となり 不良の同級生が あれは クリーム・ソーダって
言うんだ って 初めて 聞いた 1976年でした。
やがて 中3には 中体連が 6月に 終わりまして 奇しくも
県大会出場は 出来ませんでした。 部活から 解放された
中3 (1977年)ですが 5月に 修学旅行で 東京と富士山に
行きました。 2泊3日ですが 1泊目は 浅草の国際劇場から
銀座まで。 その時 ロックンロールのリーゼントとポニーテイルの
カップル沢山 歩いてたんですよ。 それが GIスタイルだったり
ボーリングシャツのカップルだったり フードラムだったり
都会のおにいさんや おねいさんが 中3の我々には
強烈に 印象に のこったんですが その日の夜に
11PMで オープニングで バットマン(サングラス)かけた
リーゼントスタイルの20歳位の男と
ポニーテイルの大きめの派手なリボンを付けた女が
向かい合わせで ツイストを踊っている オープニングだったん
です。 みんな
「あれ!?さっき銀座に いたカップルじゃね~か??」
夜の11時に 大騒ぎに なったんですよ!!
あの水玉のスカートやら 太めのボーダーTに スリムの
Gパンに コンバースが 当時は もの凄く 新鮮で
驚きの連続だったんですね。そして 程なく 1977年に
第194号 「ジャック&ベティーの60s特集」が 6月
メンズクラブにて 紹介されて はじめて クリームソーダって
画像をみたんですよ。
その衝撃が あって ロックンロールコレクション
って本を購入して 「こういう感じって 今までにない
都会的で 不良っぽくて どぎつくない 」 って感じで
初期のクリソは テッズではなくて
アメリカン スタイルだったんです。
その衝撃波が 出来上がったのが 1977年なので
やたら 1977年(中3時)が 吾輩のブログに 出てきます。
この1977年に 全国的に リーゼント少年が さらに 急増した
年代でも 有ります。 1977年は もちろん
クールス大好きツッパリ君も たくさん おりましたので
リーゼント=ローラ という訳では ありません。
いわゆる 不良シーンのカジュアルのスタイルですので
リーゼントして 学生服きてる時点は 区別できません。
私服に なると ドカジャンだったり ロンスタ・皮ジャン・トロイの
カーディガンにドカン(ズボン)なんて
ザラに いる時代でしたので。
だから 吾輩たちは ロックンロール レコジャケ見て
「ロックンロール スタイルって こんな感じじゃないか?」って
資料が ロックンロールコレクションか レコジャケしか
ないんで 集めていました。 そのレコード達です。
by fujiyama50s | 2015-07-08 21:32 | 50s店長日記 (43) | Trackback