キャロルとクールスの違い Hells Angels Forever ポミロ アメリカ ビンテージ古着店 FUJIYAMA ブログ
キャロルとクールスの違い ポミロ
Carol Difference in cools
Sendai United States
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これは、あくまでも私個人の見解ですが、どこか軟派な不良受けする
業務用リーゼントバンドという認識であります。
(あくまでも、私の個人的な意見です)
キャロルのヒットソング
夏の終わり レディーセブンティーン ヘイタクシー ファンキーモンキーベイビー など多数あります。
1975年頃 日比谷で解散ライブ クールスが、解散ライブの護衛にあたった。
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キャロルは、クリームソーダとも関係があった。
新宿怪人二十面相で、キャロルが 出入りしてたらしく
人気も当時から凄くあったと聞いている。
キャロルのライブがある時は、長蛇の列が出来るほどあつまったようだ。
キャロルの解散後に、クールスが音楽バンドとして、キングレコードから
(黒のロックンロール)のデビューアルバムを出すのだが、
よく誤解されるのは、クールスは、キャロルの弟分のような認識をもっている人たちが多いことに、驚かされる。
あくまでも、このバンドの関係は 対等 である。
キャロルは、音楽をやる為に、結成されたバンドに対しクールスは、
元々は、舘ひろしを中心に岩城滉一や、佐藤秀光の3人で原宿のレオンという喫茶店で、
オートバイチームを結成すべく 集めた 集団で、黒のイメージの
ロックンロールとオートバイをコンセプトに バイクのスピード感と ロックンロール
を武器に 原宿を中心に 17人のメンバーを集めて 舘ひろし の独裁チームとして
クールスのメンバーの証のカレッジリングが そのメンバーである証拠であり
結成式を行い、当時は 芸能人になる気は まったく 無かったと言う。
1974年東京原宿 黒い革ジャンパーにリーゼント
黒い巨大なバイクを乗り回す集団がいた。
彼らのチーム名は 「クールス」
その集団のリーダーは「舘ひろし」
そしてサブリーダーは「岩城滉一」
彼等は、原宿で
似たような風貌の連中を面接して、血判書にサインをして
舘ひろしの独裁チームで、仲間にしてあつめた
メンバーとクールス自伝本に記載されいる。
(原宿ブルースカイ ヘブン)
つまり、音楽バンドをめざしていた訳でもなく、
ただアメリカのヒッピー暴走族
ワイルドワンのようなハーレーに
跨る日本の ヘルスエンジェルス のようなグループであった
原宿は今ほど賑やかではなかったが、
わりと業界人やカメラマンなどオシャレな大人が集まる
閑静な住宅街だったところに
クールスが20人くらいであつまると、
非常に目立ってマスコミからたびたびインタビューを受けて有名に
なっていったようである。
だが、岩城滉一は、バンドには参加しなかったことから
他のメンバーとの間に、溝が出来て、徐々に 舘ひろし たちとは
行動を別々にとるようになり、
キャロル解散後は、芸能界入りのキッカケとなる、
映画出演とバンドと
決裂し離れていくことになったと記載してある。
その後、他のバンドメンバーとも、折り合いが悪くなり、
舘ひろしも、クールスを2年弱で、脱退となった。
しかし、時代はまだクールスを必要としていた。
レコード会社が、クールス解散後
間髪いれず、クールスロカビリークラブと改名しすぐさま
ファーストアルバムをだした。
こんな紹介記事がる。 当時物である。
どちらかと言うと、キャロルの解散後にデビューしたクールスは、
キャロルよりも吾輩たちからすれば、カリスマ的存在であった。
理由その① キャロルとは、同じリーゼントスタイルではあるが、
歴然としたカッコ良さがクールスはあった
理由その② クールスの音楽は、キャロルとちがい
不良的音楽リズムとセンスの違いがある。
理由その③ キャロルは、普段リーゼントスタイルでは、
なかったそうだ。クールスは、普段からあの風貌で、
皮ジャンからオートバイに至るまで、
現在のチョッパースタイルをいち早く日本に取り入れていた。
女受けは、キャロル 不良受けは、クールスの違いがある。
キャロルは、どことなく甘い感じのメロディーに対し、
クールスは、リズムのスピード感がとても良く、
バイオレンス的なルックスに当時の暴走族全盛期の
昭和52年~55年あたりで、
中学・高校時代を過ごした今の49歳~52歳位のおじさんたちは、
黒の単車に乗りCB400(HONDA) カワサキKH400
ホーク2 などの自動二輪を乗り回し革ジャン・
リーゼント・サドルシューズなどのイデタチで、
意気がっている時代で当時は、かなり不良青春だった。
その影響は、やはりクールスの音楽デビューあたりから急速していった。
それまでは、フォークソングや歌謡曲などの大学のサークルのような
感じの音楽ばかりだった。
クールス解散後、舘ひろしは、プレイボーイの取材で単独 、
ニューヨークにて当時のヘルスエンジェルスなどの取材もしている!!
クールスの完成されたスタイルを検証できる映像があります。
この当時こんなスタイルしてるチームはいませんでしたよ!!
お断り これは あくまでも当時の吾輩の 思い出 話としての
ブログです。
これは、あくまでも個人的な意見ですので、
商品を推奨するためでは、ありません。
Hells Angels Forever
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by fujiyama50s | 2014-10-31 22:03 | 1 | Trackback